日記2001年1〜3月

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2001年2月22日 「モンゴル長官」
 一昨日は職場にモンゴルのえらい人―政治家なのか役人なのかは知らない―が見学に来た…らしい。「らしい」というのは若年寄は他の作業で接遇はしなかったからのだが、チラッと見た限りドッシリとした偉丈夫だった。おおっ、大河ドラマ的にも日蒙親善でタイムリーとか思ったり、日本の場合はデップリとした「大丈夫?」だしとか、まあ色々思ったんだけども、職場の月間予定表のホワイトボードの今日の所に書かれた「モンゴル長官 16時〜」、せめて「モンゴル」と「長官」の間に「の」を入れて欲しかったなあ、と思いました。

2001年2月22日 「週刊現代」
 今週の週刊現代の表紙トップ見出し。
―「森喜朗のバカ」全部書く―
 ……これは名誉毀損にはならないんでしょうかねえ?ジャーナリズムに(政治にも)品性を問う品性は今さら求められないのでしょうが、公人としての批判はよし、また私人としても一国の首相というその立場上、ある程度の批判をされるものですが、公然と「バカ」呼ばわりするのは、ちょっと危険な気がしますね。口の悪い私だって「バカ」とは書いてないんですよ言ってないんですよ。
 「無能」は政治家の評価として公にしてもいいけど、「バカ」は人間としての評価ですから。「無能」は政治家個人の能力や運に責任が帰するけど、「バカ」っていったら「バカ」を国民の代表として選んだ有権者に責任が帰する事を自覚しなければならないでしょう。石川2区の、そして日本の。国民としては、あの「無〜」とか「不〜」が日本一似合うアレに、「バカ」ではなく「無能」(≠「有能」)・「嘘つき・ペテン」(≠「公明正大」)・「守銭奴」(≠「清廉」)などと批判すべきでしょう。「現代」もせいぜい、死語となりつつある「ダメダメ」くらいにしておけばよかったのに。
 こうは言っても、「バカ」のコピーに惹かれて買っちゃいました。「週刊現代」。名誉毀損はまずいけど、頑張れ「現代」!

2001年2月22日 「リーモンは忘れっぽいし近視なのねん」
 自民党石川県連HP中のコメントより。
「小渕前総理の命を懸けた取り組みによって実を結びつつある景気回復に、さらに力を注ぎ、その芽を根付かせます。そして、21世紀の日本のために、日本人が持っていたチャレンジ精神を回復することに全力をあげていきます。それは自らの可能性を信じ、確かな将来を「形」にする力です。それによって活力と自信を取り戻し、平和や環境など地球規模での国際貢献にもつなげていきたいと考えます。そのなかで、豊かさや繁栄のなかでの忘れもの、すなわち思いやりや、いたわりあう心、家族の絆、助けあい隣人を思いやる地域社会のつながりを取り戻していかなければなりません。勤勉、自助・自立の気概、そして礼節や美しい自然とふるさとのあるニッポンを回復させます。私は、ここから新生日本を始めます。」
 だってさ。国民の生命の危機と同盟国との外交問題も孕んだ出来事に「危機管理じゃなくて事故でしょ。」といいきったモノのセリフとも思えんね。

2001年2月16日 「殉教記念日所感」
 今年は「売るモノ」ですらなかったなあ〜。

2001年2月15日 「X」
 先ほどまでNHK「プロジェクトX」の再放送(本放送:火曜21時、再放送木曜24時)をみました。今週のテーマは昭和31年の第一次南極観測隊についてでした。
 番組は、戦勝国中心の南極観測に乗り出した、講和間もない戦後の復興途上の日本の挑戦を、永田武隊長を中心としたひとびとの奮闘をちりばめ構成していました。
 管理人は高倉健さん主演の「南極物語」の流行ったちょっと前に、小学生の頃、親に「カラフト犬物語」という本を買ってもらいました。その本は非常に絵もキレイで、ストーリーも永田や東大総長だった茅誠司、越冬隊副隊長だった西堀栄三郎らの出発前の奮闘の物語も児童向けながら詳細に描かれていて、非常に質の高い本だった事と、私自身南極観測船「宗谷」(現在晴海の「船の科学館」に原型保存)をよく油ネンドで作ったりといった位に影響された事は良く覚えています。
 そんな訳で人一倍知識と関心は持っていたつもりだったのですが、今回の番組で永田の網走での耐寒訓練で零下数十度の酷寒と風速100メートル近くの強風に持たなかった装備品に関して、草創期のソニーの盛田昭夫と井深大、ホンダの本田宗一郎らが、自発的かつ無償で南極環境下でも動作する無線機や風力発電機(電池やバッテリーは寒冷地ではすぐダメになるから)を開発し提供した事を知った。盛田にしても本田にしても、国を挙げての壮挙への貢献以外にも、企業としての目論見もあったはずだが、国民の期待を乗せた南極観測隊派遣が、こうした草創期の日本の技術(者)と創業精神によって成された事に非常に感銘を受けました。また創業精神の確かな企業は、バブル崩壊を経た現在でも行き先を見失っていない事を感じました。
 まあ長くなっちゃいましたけど、来週(2月20日)に、南極に着いた第一次越冬隊員の苦闘を後編として放映するようなので、是非見てみて下さい。前編を見たい方は録画しましたので管理人までどうぞ。

2001年2月15日 「ゴルフは悪いことじゃないでしょ。単なるスポーツじゃなくて、私の場合、健康管理ということもありますから。それだけのことです」
 タイトルが長い?いやいや、ただの寝言でしょう。
 さて与党からはこんな声が。
扇千景保守党党首:「聞くと余計に国民のフラストレーションがたまる」
福田官房長官:「措置が甘いのではなく、政治姿勢がいいかという事が問われている」
ある公明党幹部:「もう辞めた方がいい。森さんも嫌にならないのか」
 そして明治大学政経学部の高木勝教授(よくフジのニュースの経済関係の解説に出る人です)は、「昨年4月5日、森総理が就任した直後に2万833円を記録してから株価は下がる一方で、一時1万3000円も割った。市場は明らかに森政権ではだめだと言っている」と指摘。「最大の株価対策は森退陣で、実現すれば瞬間的に2000〜3000円くらいは軽く上がる」と話した。また公明党幹部の森総理への批判が流れた際には、瞬間的に130円も値上がりした。
 もう結果は出てるでしょう。結果としてゴルフ続行よりも、すっかり被害妄想のあのモノの自己弁護と開き直りで、更に立場を不味くみっともなくしてますね。自分の立場の危機管理もよう出来んモノに、他人の危機に関心はいかないんでしょう。ただ米海軍の過失100%の事件で、これだけ同盟国への批判を未然に自らの身にひき付けた危機管理能力は凄いっすね。…天然でも。
 米原潜は、民間人に操舵させていたとの事。冷戦終結後の米海軍の綱紀の緩みはどうしようもないですね。捜査の進展を見守るしかない。ただ事件後のブッシュ大統領の反応や捜査着手・今日の捜査延長の政治判断は、果断であったと言える。

2001年2月12日 「誰が“頭の悪い弱虫”か?」
 ハワイ沖で水産高校の実習船と米原潜との衝突事故があった。まだ事故の詳細な実像は分からないが、同盟国の軍隊が同盟国の国民を傷つけ、尚且つ救助活動を行なわなかったという事は、今月に入って在沖米軍の高級士官が部下に対して稲嶺沖縄県知事らを「頭の悪い弱虫」と中傷するメールを送ったという、いわば士官の私的な問題よりも遥に腹立たしく、また日米安保体制が決して日本国民を守り得るものではないのではないかという疑念を私の中に生じせしめた。
 しかし更に腹立たしいのは、その情報を耳にした時ゴルフをしていた森喜朗が、対応に入る事なくプレーを続行した事だ。はっきり言って、阪神大震災の際に、時の村山富市首相が為すすべなく、テレビでその情報を知り、尚且つ特に指令を出すでもなく半日もテレビに釘付けで、徒に犠牲者の数を千人規模で増加させたという無責任ぶりにならび、、その危機管理能力の無さは甚だしい。かかるモノを首相に頂いている限り、我々国民は、どんな災害に遭っても見殺しにされかねない。なにせ金やメシや遊びにしか目がいかない無責任なモノが最高権力の座に居るのだから。
 日本国民も困っている人を見てみぬふり、そんな世相ではある。政治屋はやはり国民の反映なのだろうか。しかし昨今の政官界の職務に対しての放縦ぶりと無責任さは、犯罪者と紙一重であるケースが多く、国民にとって反面教師と化している。先日の山手線での救出事故で、韓国人留学生の行動に対して「身を殺して仁を為す」という韓国の言葉が引用されたが、古来まつりごとは仁の道と言われる。身を殺せとか国父たれとか仁者たれとはもはや言わないが、せめて政治家であっても人なみの心を持ち合わせて欲しいものだと思われてならないです。
 <母:「勉強しなさい!」子:「今やろうと思ってたのに」>的な言い訳は、もはや情けないを通り越して悲しいです。いつから日本の政治屋は結果だけでなく、過程においてすら能力と行動力を著しく欠く様を露呈するようになってしまったのでしょうか。金や地位にさもしいだけでなく、人の生死に動かされない、そんなモノの事をどう表現すればいいやら。
 行方不明の方々の無事を祈ってやまないです。

2001年2月12日 「聖人殉教」
 「チョコレート?ふん、オレにとってはもらうモノではなく、無論あげるモノでもなく売るモノだね。」と高言して数年。そう大学1年以来管理人は、某デパート内の某チョコレート屋でバイトを続けていたのですが、今年はバレンタイン商戦には参加しないはず、だったのに、人員不足でこの連休の初日、一日だけ手伝う事になっちゃいました。だがここ2年の売上減少傾向に拍車がかかり、売れてません。ホントに。特に一番多いはずの10代後半から30代前半にかけての所謂年頃の女性のお客さんがホント少なくなりました。この不景気を受けてか、義理チョコの購買量はかなり減少しているようです。その証拠に単なる義理としてあげるには高価な某Gチョコレートは結構売れていた。不景気とかストーカーが怖いとか色々あるのでしょうが、儀式としての義理チョコは、衰退の危機を迎えているようです。
 誤解がないように言いますが、もらう立場としてでなく売る立場として言わせてもらえば、沢山チョコレートを買っていただきたいと思いますですよ。バレンタインチョコレートのパイオニアとされる、私のバイト先だった某チョコレートでの購入を是非とも宜しくお願いします、はい。

2001年2月11日 「税」
 トップページにも書きましたが、そろそろ確定申告の季節ですね。管理人は低額所得者なので、納税する額も少ないのですが、少なすぎる故に納税額が所得に占める割合が多いのです。所得税だけではたいした事がなくても、住民税・年金・国保と重なるとちょっと大変です。還付で幾らか帰って来ても、やっぱりキツイです。その税金がどう遣われていくかと思うと…。それにいくら年金を納めても、国と地方の借金が一千兆円ほどと思うと…ねえ。恐らく消費税も10%になる事は避けられない事でしょうから、直接・間接合わせて30〜40%の税負担を強いられる事になる時代が近い将来に訪れる事でしょう。こうして納税の時期を迎えると、税務行政上には現実的では無いかも知れませんが、国民すべてが申告納税した方が、税負担の重みと自覚を感じられるのではないかと思えてなりません。
 納税者が気分良く税を納められるよう、国民の代表者である議員さんと国民への奉仕者である官僚には、いい加減にバブル以前の価値観を捨てて頂きたいと思うとともに、我々国民も彼ら権力を監視する目を養わなければならないと強く思います。

2001年2月9日 「ちょっと残念なこと」
 今年の冬は久し振りに雪の多いシーズンとなりましたね。そんな雪にまつわる事を少し。誰でも天気予報は見るとは思いますけど、国営放送の天気予報の雪マークは雪だるまなんですね。まあどこの局も雪だるまや雪の結晶をデザインしている訳です。ただ昨年までのNHKの雪だるまは落ちる雪を目で上から下へ追っていたという芸の細かさだったんですよ。ところが今年の天気予報からは動かない雪だるまに変わってしまったんですよ。落ちる雪を眺める雪だるまはここ数シーズン、NHKの天気予報で活躍していて、若年寄の密かな楽しみだったのに。この冬のちょっと残念な出来事だった。
 
2001年2月4日 「旧交」
 昨夜は大学時代のゼミのOB会に出席した。今年は色々と連絡が遅れて連絡が回らなかった代もあったが、それでも全OBが百数十人のうち50名近くの参加があった。
 管理人はまだ学校に関わっているので、教授とは日常お会いしているが、それ以外の久し振りの友人や先輩と会え、思わずオールナイトで4次会まで行ってしまった。
 このOB会を目途に治療に励み逝ってしまった先輩の事もあり、再会の感慨はまたひとしおだった。今後も多くの顔と再会できる機会と自分達であらん事を祈りつつ、またその先輩の記憶を暖めていきたいものだと思った。

2001年2月1日 「あの人は今」
 森脇健児って人いましたよね。現在午前2時30分、「お願いダーリン」以来CXで数年ぶりに発見!なにやら喜界島の海底遺跡を探る番組のリポーターとして島崎和歌子関を相方に登場。テロップは「スポーツ万能タレント 森脇健児(33)」。森脇ってバラエティじゃなかったの?との疑問をヨソに健ちゃんは相変わらずのギャグと怪しい関西弁を連発。健ちゃんはタンクトップでスポーツ万能ぶりをアピールしてました。目指せケイン・コスギ。そういえば大昔に森口博子や元SMAPの森なんかとキックベースやってましたね。いやまあ深夜に貴重な体験をしました。

2001年1月31日 「そういえば…」
 そういえば最近全然万歩計をつけてない。どこいっちゃったんだろ。
 パソコンが半故障中ゆえ他に使い道がないから更新バリバリの当サイト。だけどちょっとトーンが重め。とりあえずはカレーで勘弁してください。

2001年1月30日 「今日のカレー」
 本日のカレー「ビーンズカレー」
 NHK「きょうの料理」じゃなかったけど、NHKの番組のレシピを元に作成。カレー調理の動機は日中再放送の「その時歴史が動いた」での小林一三率いる阪急百貨店の一杯20銭のカレーライス。NHK洗脳中のオレ。
材料(6人前):牛ひき肉300g、玉ねぎ小4ヶ、にんじん1本、大豆1缶、レッドキドニー1缶、ミックスビーンズ1缶、グリンピース1缶、スイートコーン1缶、牛乳3カップちょっと、水2カップちょっと、チリパウダー6gくらい、ターメリック6gくらい、ガランマサラ少々、カレールウ100g、塩・砂糖・黒砂糖少々、チャツネ少々、酒少々
レシピ:1.ひき肉を炒め酒と塩コショウする。2.玉ねぎのみじん切りと人参を追加。3.玉ねぎが透明になったら豆類を追加。4.香辛料を入れ、炒めが終わったら牛乳・水を入れる。5.煮えたらカレールウを入れなじんだらチャツネと塩・砂糖・黒砂糖を入れて味を調整して出来上がり。
 時間もあまりかからずまろやかでヘルシーなカレーが出来上がります。辛めがいい人は香辛料かカレールウを多めに入れましょう。カレー人の管理人より。
 「きょうの料理」のテーマ音楽をトップページの音にしたいと思う今日この頃。

2001年1月30日 「旅の駅は可、通勤の駅は不可」
 一昨日の山手線に転落した酔っ払いを助けようとした写真家と韓国人留学生もろともはねられた事件は、大変な反響を呼んでいる。私も日頃は酔っ払いの一員な訳なので飲むなとか飲酒の罪は言いません。でもこれ以上飲んじゃヤバイっていう自制は働かなくても、酔っ払ってあっちいっちゃ危ないって自制が働くもんでしょう。JR東日本も線路転落の予防策と緊急停止装置のPRは考慮するとは言っていたが、売店での酒販売は止めないと。まあ酔っ払いは別に駅だけで飲む訳ではないだろうけども、アルコール販売を長距離列車発着駅では認めて、都市の通勤駅では不可とするとか柔軟な対応をすべきではないか。
 私もあるんですよ。落っこった方じゃなくて助けた事が。西武線の小手指っていう駅で酔っ払いが線路におりちゃって、あと1分くらいで通過する特急が来るっていう状況で。携帯を落としたかなんかで降りたらしいんだけど酔ってて登れない。駆けつけたんだけど酔っ払いって凄く重いんだよね。結局4人がかりで引っ張りあげて列車通過20秒前に何とかセーフ。すんでの所で助けて一息ついていたら、泥酔してベンチに座って手伝いもしなかったオジサマが「まったく酒に飲まれちまうからいけねえんだ」って。誰か突っ込めよって感じ。まあそんな事がありました。
 ホント下記の飲酒運転にしたってこれ以上いったら危ないっていう危機感が無さ過ぎる。日本人って危機意識がホントに無さ過ぎる。でも助けに入ったお二人が英雄扱いされている影で、最初に転落した方のご遺族はいたたまれない思いをしている事だろう。線路に転落した人も、救助を試みた2人も身を犠牲とした行為は賞賛されたとしても、どっちも死んじゃあいけない。自分のためにも家族のためにも。と強く思うが、自分あるいは近くの誰かが危機に瀕した時にどのように身を処すか、そんな事を考えさせられた出来事だった。


2001年1月30日 「飲酒運転はいけません」
 昨日だったか飲酒運転のトラックが突っ込み子供が亡くなった事件の判決が確か懲役四年に確定した。今日は栃木リンチ殺人事件の控訴審で被告の無期懲役が覆らなかった。後者は誠にしかるべきと思うのだが(しかし警察の対応の拙さは桶川事件と並びもっと追求されるべき)、前者の懲役四年という判決は全く納得がいかない。罪状は業務上過失致死にあたるのだろうか。にしてもトラック運転手という職業意識とトラック車内に常飲のウイスキーがあるというのは、飲酒運転が殺人を犯しかねないという危険を回避しなかった事から、極めて故意性が強いと言えるのではないか。被害者よりも加害者の人権を擁護し勝ちな日本の司法というのは全く腹に据えかねる。誠に日本の刑事罰は犯罪予防の観点からも審判者としても合理性も妥当性も感じられない。冤罪の危険性も恐ろしいが、明白な不法行為に対しては、市民生活に対する敵を排除しうる懲罰主義がもっと色濃くても良いのではないか。司法改革がどのような方向に行くのかはよく解からないが、心情的にはなるべく正直者が馬鹿を見ない世を目指して欲しいものだ。

2001年1月29日 「毎年恒例」
 毎年冬を迎えると、手の皮膚がボロボロになってしまうのが管理人が年寄りでない時分からの恒例となっていたのだが、今年は殆どその症状がない。体質が健全になったとは思えないし一体どうした事なのか。食生活も殆ど変わらないのに。考えられるのは手洗いだ。別に管理人は一日に一度しか手を洗わないなんて生活をしていたわけではなかったのだが、今年の秋から冬にかけては、業務で非常に汚い史料を扱う機会が多くて、日に10度以上も手を洗ったりした。以前は刺激を避けて牛乳石鹸とかを使っていたのが、職場の液体洗剤は濃度が濃く、また自宅ではミューズを使っていたのが奏効したのかもしれない。冬の手洗いはミューズ。管理人が人生25年目にして掴んだ真実だった。

2001年1月27日 「衝動買い」
 管理人である若年寄は日本史の業界に一応身を置いている訳なのですが、貧乏人は貧乏を加速させがちという傾向を地で行っている。今日はT川のRミネで多摩郷土史フェアが行なわれていて、そこと学校の書店を合わせての書籍購入金額はCDアルバム6枚分。この業界、発行部数も少ないので今買わなきゃ手に入らんかもっていう強迫観念で徒に書棚の肥やしを増やしていってしまうのです。まだ若い(つもり)なのにちっとは服や靴にでも遣えばとは思うのですが色気もそっけもない…。生きた金の遣い方、もういい年なんだから覚えなくちゃと思う今日この頃。趣味:本を買う事の男より。

2001年1月25日 「アプ○ィバ」
 パソコンがいかれちまって困ってます。セーフモードか診断モードでしか画面が映らないので16色の世界でHPの更新をしています。しかもプリンタもスキャナもCD-RもDVDも、なんにも使えないのです。唯一インターネットが出来るのがせめてもの救いです。出荷状態にリセットやハードディスクを初期化するのも3日掛りになってしまうし直るとも限らん。やっぱり買うしかないのかぁ。

2001年1月21日 
 昨週の1月18日に当サイトの掲示板にも来て頂いていたささくんこと私の先輩が亡くなられた。膠原病の一種との闘病中の合併症で27歳の若さで旅立ってしまった。サッカーが大好きで紅茶が大嫌いな、誰に対しても優しく誰からも愛された方でした。大学院博士課程に在籍する研究者としてまた某史料館の学芸員として活躍し、しっかりしてない私を励まし教え受け止めてくれた掛け替えのない存在でした。
 人生も学芸員としても研究者としてもこれからという時に不意に逝ってしまった。いかに悔しかったろうか辛かったろうか。まだその死に対してうまく考えられないけど、故人の冥福を祈りつつ、生前に受けた沢山の愛情を噛み締めつつ生きていきたいと思う。



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